【東京・立川】国立極地研究所 南極・北極科学館でワクワクがとまらない! 氷点下の世界は情熱で溢れていた

地球儀のてっぺんと真下に位置する北極と南極。東京都立川市にある「国立極地研究所 南極・北極科学館」は、南極で観測隊が実際に使用した機材や北極の資料を見られる珍しい施設です。その名の通り、国立極地研究所が運営しているので、南極の氷に直接触ったり雪上車を近くで見たり、とほかでは体験できないものも。入館料は無料ですが充実した展示内容で、日本から14,000キロメートルと想像もできない離れた南極が身近に感じること間違いなし! 旅色LIKESメンバーのじゅんさんが見どころをたっぷりご紹介します。
目次
どの国にも属さない南極 なぜ各国が基地をつくり探究するのか

南極は地球上で唯一どこの国の領土でもない大陸。気候は世界一寒く、乾燥し、強風も吹くことから、人間が生活するには過酷な環境で定住者はいません。だからこそ、南極は人間による環境汚染を受けておらず、地球の歴史を読み取れるタイムカプセルだとも言われています。各国が基地を建て観測や研究を行うのは、環境変化の兆候をいち早く察知するため。そして、互いに情報を共有することで世界全体で地球環境を守るための取り組みや対策を行っています。
初の南極点を目指して競った探検家三人のうち、一人は日本人だった

南極大陸が発見されたのは1820年頃(日本は江戸時代)。その後、1910年に南極点に初めて到達したのはノルウェーの探検家であるロアール・アムンセンでした。この時、ほかにも二人の探検家が南極点を目指していました。イギリスのロバート・スコットと日本人の白瀬 矗(しらせ のぶ)です。スコットは二番目に南極点に到達しましたがその後、悪天候に見舞われ全員が命を落としました。そして、白瀬は日本人で初めて南極大陸の地を踏みましたが南極点までは及ばず、南緯80度5分の地点で断念。しかし、白瀬を含む探検隊全員が無事に帰国したことで、日本中が歓喜に沸き国際的にも高い評価を受けました。白瀬以外の二人は国家的な資金支援があったのに対し、白瀬は民間の義援金のみで船も木造漁船を改造した帆船。不利な状況下でも命を懸けて南極の地を踏んだ白瀬の功績は、後に国際的な南極の観測に参加する大きな架け橋にもなったそう(そんな白瀬の資料館が出身地の秋田県にかほ市にあるそうなので、今度行ってみたい)。
日本の南極観測隊員を支えた機材・設備たち

初代の宗谷は現在、お台場にある船の科学館(本館・別館は老朽化で解体中)前で実物が係留・展示されている
南極へ向かうにも、そこで過ごすのも、日本とは全く異なる環境下なので特別な機材・設備が必要です。まず、南極観測の拠点がある昭和基地へは日本からは観測船で約1カ月半かけて向かいます。現在の船は四代目の「しらせ」。横須賀港から食糧などさまざまな物資を乗せて昭和基地を目指します。館内には一代目の「宗谷」から「しらせ」までの模型が展示されており、歴代の観測船を見比べることができます。

黒い塗装は太陽熱を吸収し室温を保つ目的があったそう
観測船と同じく、南極での活動で重要な移動手段である雪上車の展示も。日本隊が初めて南極点に到達した時に使用されていたもので、機械遺産(※1)にも指定されています。この雪上車で昭和基地から南極点まで往復5,200キロメートル(なんと約5ヵ月もかかる)するため、定員4名の居住スペースが設けられています。車内に残されたベッドや観測機材などから当時の臨場感が伝わってきます。

そして、越冬隊(※2)の個室を再現した展示も。約4.5畳の広さですが、ベッドの下に収納スペースがあったり、壁際にデスクを置いたりすることで、快適なプライベートができていました。なお、室内は17℃くらいで暖房も完備されています。ちなみに、展示されている個室は三代目で、初代は食堂や観測施設片隅に作られ、ベニヤで仕切られたわずか1.9畳のスペースでした。二代目の広さは3畳で、観測施設からも離れました。また、温風の集中暖房も設置されましたが、床と天井の温度差が大きかったそう。
※1 機械遺産:一般社団法人日本機械学会が認定するもので、機械技術の歴史を示す具体的な事物・資料のこと。
※2 越冬隊:南極観測隊は、夏隊と越冬隊の二つに分かれて活動している。
LIVE映像とオーロラ上映でリアルな南極を体感

南極がぐっと近くに感じる南極のライブ画像。以前、夕方に行った時は写真のように現地が明るい画像が見れた
南極との時差は6時間。日本が夏の場合、南極は冬となります。冬の南極は太陽が出ない「極夜」、夏は太陽が地平線までしか沈まない「白夜」になる日も。そんな日本とは全く違う南極の様子をLIVE映像で見られます。映像モニターの下には昭和基地のジオラマがあり、通信室や食堂、病院などがある管理棟を含めた中心部が展示されています。実際の南極と重ねて見てみるのも面白いと思います。

ドーム内に入るとオーロラの世界に吸い込まれそうになる
リアルタイムの南極だけでなく、研究用に撮影されたオーロラも。直径4メートルのドームシアター内でおよそ5分間(10分間隔)で上映されます。実は、昭和基地はオーロラが発生しやすい領域にあり、窒素にぶつかると紫~ピンク色に、太陽風の粒子が大気の酸素とぶつかると緑色に光ります。特に緑色のオーロラがよく見られるそうです。しかし、星空だけを綺麗に撮影しようとすると、肉眼では見えないオーロラが写りこんでしまい撮影の障害となってしまうのだとか。
日本が南極で見出した功績 「オゾンホール」と「隕石」

世界で同時に行われている観測方法は意外と原始的
白瀬の南極探検から約110年、日本の南極観測ではさまざまな発見がありました。その一つが「オゾンホール」です。南極のみで発生している現象で、フロンガスによってオゾン層が薄くなり、穴(ホール)のように見えてしまうことです(ほかにも要因有)。昭和基地では、「オゾンゾンデ」という、大きなゴム気球に機器をつけたもので気温や湿度、風速、そして大気中のオゾン量の高分布を地道に計測し続けたことで、世界初のオゾンホールを発見しました。現在も世界中で一日2回、同じ時間で一斉に飛ばして観測しています。もう一つは、「隕石」です。世界で確認されている隕石の60%が南極で見つかっており、さらに日本では17,000個以上を発見しており、これは世界で二番目の保有数です。隕石を研究することで、太陽系が最初はどういう姿だったのか、どう生まれたのかなど、地球や宇宙について知ることができます。館内には月と火星の隕石の展示があり、顕微鏡を通して万華鏡のような結晶であることがわかります。
おわりに
ほかにも、館内には南極観測隊が氷山を削って持ち帰ってきた「南極の氷」、オーロラ観測で使用したロケット、南極や北極に生息している生き物の剥製など、たくさんの展示がありました。さらに、屋外には南極観測で大活躍したカラフト犬のモニュメントなども。コンパクトな施設ですが、南極観測の歴史から観測内容まで資料の一つひとつが貴重で、気づくと1時間くらい滞在していました。南極活動の歴史・現在の観測状況などを通して、壮大な南極大陸や北極の環境を間近で感じられる「国立極地研究所南極・北極科学館」。地球規模の自然環境を過去から未来まで観測し続ける国家プロジェクトに、多くの人達が関わり努力してきた事に、心を揺さぶられてしまい帰ってからもワクワクの余韻に浸っていました。国立極地研究所の南極観測ホームページでは、まさに南極で活動している方のブログや研究成果が掲載されているので、ぜひチェックしてほしいです。2025年は、氷点下の世界にある情熱に触れてみてはいかがでしょうか。
◆国立極地研究所 南極・北極科学館
住所:東京都立川市緑町10-3
営業時間:10:00~17:00 ※最終入館16:30
定休日:日・月・祝日、第3火曜日、夏季休業日、年末年始
入場料:無料
◆この記事を書いたメンバー

じゅんさん
国内旅行中心に1泊2日の強行突破が多めです! 行き先は九州や沖縄が多く、まだまだ日本の魅力をたくさん見つけていきたいです。ドローンの空撮も練習中です。