門前から苔生す石川県の那谷寺に圧倒! コケ愛好家・藤井久子の“コケ目線”で歩く寺社仏閣めぐり第一回
日本のどこにでもある神社やお寺。身近な場所でありながら、そこには日常の雑事から離れ、不思議と心が安らぐ別世界が広がっています。境内に広がるつつましやかなコケこそ、じつはこの“別世界”の空間を作り出している重要なエッセンスの一つ……と考える筆者が、これまでコケ目線で全国各地の寺社仏閣をめぐってきた中から、とりわけコケが魅力的な場所を連載で紹介します。第1回は、低温多湿な気候で知る人ぞ知る日本屈指の“苔庭最適生育地”である北陸エリアから、石川県の那谷寺です。
文・写真:藤井久子
目次
門前からモフモフ!
那谷寺は、奈良時代に白山を開山したと伝えられる泰澄(たいちょう)大師によって717年に創建された約1300年の歴史を誇る古刹です。現地の友人から「コケが好きなら那谷寺にはぜひ!」と勧められ、初めて那谷寺を訪れた筆者は、境内に入る前からびっくり。なぜなら、山門の手前からすでにあちこちがコケであふれているのです!これまで各地の寺社を訪れましたが、門前からこんなにコケが豊富なお寺は初めて。これは期待が高まります。
結局、モフモフのコケたちに夢中になるあまり、カメラを手に30分ほど門前をウロウロ。ようやく山門をくぐると、途端に視界が開けます。そこには想像を超えた圧巻の景観が広がっていました。
谷地にあることもコケが豊富な理由
地面も石垣も樹の幹もコケで覆われ、空間のありとあらゆるものが苔生す緑色の世界。境内は広く、しかも谷地にあるため、斜面の高い場所と低い場所、日当たりや風通しの加減によってコケの顔ぶれもさまざまです。歩けば歩くほど多種類のコケと出合えました。
落ち葉を拾われている庭師さんに「大変ですね」と声をかけると、斜面だらけのこの広い境内を、今日は2人で手入れしているとのこと。コケの上に落ちてくる無数の葉をこうして1枚ずつ人の手で取り除くことによって、コケは太陽の光を浴びて光合成をし、成長を続けることができます。逆に、人の手が加わっていない自然の山の中では、このように地面にコケが生え広がる景観はなかなか見られません。寺社の境内に見事なコケの景観が広がっているとき、そこには必ず庭師さんたちのたゆまぬ努力があるのです。
時代を超えて受け継がれるコケの景観
さて、1300年前に泰澄によって開かれた那谷寺は、霊峰白山を崇拝し、自然こそ神仏であるとし、自然に敬意をはらう「自然智(じねんち)」の教えを重んじた白山信仰が大切に守り伝えられてきました。そして、その象徴となるのが「奇岩遊仙境(きがんゆうせんきょう)」と呼ばれる大きな岩山です。古来の海底噴火の跡であったと伝えられ、永い時間によって風と波に浸食されて、自然とこのような形になりました。
寺院は中世の戦乱でいったん建造物がことごとく焼けてしまいますが、江戸時代初期に三代目加賀藩主・前田利常によって再興されます。利常はもともと信仰心が厚く、文化の振興に力を入れていたこともあって、名工を招いて本殿、拝殿、唐門、三重塔、護摩堂、鐘楼、書院などを一気に再建。再び多くの参拝者が那谷寺を訪れるようになりました。
そして、「人間は死後に魂が清められて再び生まれ変わることができる」という自然智の教えに端を発し、境内は「魂が生まれ変わったら降り立ちたい美しい場所」として、信仰に厚い人々によって常に掃き清められるように。地面から落ち葉が取り除かれることで、コケが増え、その結果、今日のコケが主役の景観ができあがったのです。
寺院のコケは日本古来の信仰とも深く繋がっていることを肌で感じることができる那谷寺。例年3月頃からはコケが新緑のシーズンを迎えるので、とくにおすすめです。
◆那谷寺
住所:石川県小松市那谷町ユ122
アクセス:加賀温泉駅からバスで約35分またはタクシーで約20分
粟津駅からバスで約17分またはタクシーで約10分
拝観時間:9:15~16:00
拝観料:大人600円、小学生300円(特別拝観は別途200円。幼児小学生は無料)
敷地内のコケを取ったり、コケや境内の植物を踏みつけたり、また他の参拝者の迷惑になるような行為は厳禁です。マナーを守りながらコケを楽しみましょう!