【川瀬良子の農業旅】驚きの栽培法と地域に根ざした活動を続ける川崎市の「のらぼう菜」農家へ
こんにちは! 農業旅を連載している旅色アンバサダーの川瀬良子です。今回は、番組の取材で出会った「のらぼう菜」という野菜についてお届けします。東京都の西多摩地方や埼玉県飯能市などで主に栽培される江戸東京野菜のひとつです。今回は出会いのきっかけになった、神奈川県川崎市ののらぼう菜に注目します。
目次
「のらぼう菜」って知っていますか?
見た目は菜の花や大根の葉っぱに似ている、アブラナ科の野菜です。川崎市では9月頃種をまき、寒い冬の中でぐんぐん成長して、3月頃から直売所などに並びます。地元の方からは「のらぼう」とよばれ親しまれており、春の訪れを感じる伝統野菜です。
出会いのきっかけ
私がのらぼう菜に出会ったのは、昨年10月に取材したのがきっかけです。「不思議な名前の野菜!」が第一印象でした。(ちなみに、名前の由来や歴史は諸説あるそうです)お話を聞けば聞くほど興味が湧き、一通り体験させてください! と、プライベートで直談判。苗づくり、12月の植え付け、そして年をまたぎ3月の収穫も手伝いに行かせていただきました。
川崎市の「のらぼう菜」を語るうえで重要な人物がいます。70年以上栽培を続けた故・髙橋孝次さんです。孝次さんは88歳で亡くなる2020年12月まで、地元の小学校や中学校への出前授業を続けて、歴史や栽培法を伝え続けました。今回の体験では奥様の寛子さんと、伝統を守り後世に伝える孝次さんの活動に感銘を受けた清水まゆみさんに大変お世話になりました。清水さんは自らを「孝次さんのおっかけです(笑)」と表現するほど孝次さんの人柄に魅了され、今もボランティアでのらぼう菜の栽培などの活動に携わっているそう。
スパルタな育て方!? 驚きの農作業を体験
10月、苗づくりを寛子さん、清水さん、今井さんに教えていただきながら作業をしていきます。作業方法はとても変わっていました。
葉物野菜の多くは、種を直接畑の土に撒くか、ポット(小さな鉢の様な容器)で、種から苗に育ててそれを畑に植え替えます。どちらも大事なポイントは根を傷つけないように優しく扱うことです。しかし髙橋式のらぼう菜は、種まき用の箱に土をいれ種を撒き、発芽して本葉が2枚くらいになったら、1本ずつはがして腐葉土が入ったポットに丁寧に移していきます。この時に絡まった根っこが切れるので「根っこを切る⁉ 大丈夫ですか⁉」と目を丸くしていると、「のらぼうは強いのよ~」と、寛子さんが穏やかな笑顔で教えて下さいました。
12月、ポットの苗は30センチメートルほどの大きさに力強く成長して驚きました!
今まで体験した植え付けの多くは、苗が畑に対してまっすぐ空を向くように植え付けています。対してのらぼう菜は、日当たりを考え、葉先が東を向くように斜めに植え付けるのです。ここでも根に厳しくします。手のひらをグーにして根鉢※1 をつぶしてほぐし、土を厚めにかけて、株元を両足で踏み固めて、もっともっとプレッシャーを与えるのです。「がんばれ~! って踏んだ方が、苗が喜びます」と清水さん。驚きの連続で、何度も「え~!?」と絶叫してしていましたが、思い切って踏みながら「がんばれ~!君のためだ~!」と声をかけました。
※1 鉢から抜いたときにでてくる根と土の集まった部分
10年以上農作業をお手伝いしていますが、こんなにも独特でスパルタな植え付けは初めてでした(笑)。この厳しさによって強さを増し、12~2月の寒い冬を乗り越えることが出来るのだそうです。冬ののらぼう菜を孝次さんは、「冬、みんなはセーターやコートを着たり暖房を付けたりするけど、のらぼうは何も着ないで寒い所でずっと耐えて自分の力を蓄えるんだよ」と子どもたちに教えていたそう。「そんな例え方が素敵でした」と、清水さんは話していました。
3月、暖かくなってきたころに再び畑へ行くと、大きな花のような形で、横にも縦にも成長していました。のらぼう菜、すごい! たくましさを感じました。どんどん芽吹く強さから江戸時代にはのらぼう菜が大飢饉から人々を救った、というお話もあるのだとか。
この時期に行う作業は、深摘芯(ふかてきしん)。中心の茎を切ることで、脇から新しい芽がたくさん出て来て長く収穫することができるそうです。
鎌で真ん中の太い茎をザクっと切ってみると、やわらかさとみずみずしさが伝わります! すでに脇芽があるものは切って、たくさん収穫。1ミリほどの小さな種からおよそ半年でこんなに大きくるなんて、のらぼう菜の生命力って本当にすごいです。ほかにも、1株からどっさり収穫できるだけでなく、収穫期間も4月いっぱいと長いのも特徴。
寛子さん宅に戻り、のらぼう菜のグラム数を測り束にして、おうちの前の直売所に並べる作業をします。
棚に並べているそばから買っていく方がいたので声をかけてみると、「毎年のらぼうを楽しみにしているのよ。今日も食べたくて並ぶのを待っていたの」と、笑顔で話してくださり、嬉しくなりました。地域のみなさんが楽しみにする野菜って、とても素敵ですね!
待ちに待った実食のとき!
5ヶ月待ちに待ったのらぼう菜! 家に帰ってすぐにおひたしにしました。茎の方から食べてみると、やわらかくてホクっとしていてアスパラにも似た食感! 葉は、あれ少し砂糖入れたかな? と思ったほど甘いです。見た目が似ている菜の花のように、ほんのりとした苦みを想像していただけに驚きました。
清水さんから「サラダもおいしい」と、教えていただき、そのまま食べてみると、肉厚なのに軸までふわりとやわらかい葉の今まで味わったことのない食感。これが川崎のみなさんの春の味なんですね~!
のらぼう菜をきっかけに繋がる輪
のらぼう菜の苗は、孝次さんがお亡くなりになった今も毎年注文が来るそうです。生前の授業で、子どもたちだけではなく先生たちも孝次さんに魅かれのらぼう菜に興味を持って、違う学校に赴任する度に苗を注文してみんなでのらぼう菜を育てています。
清水さんは栽培だけではなく、“孝次さんの考え方をこれからも伝えていきたい”と、クラウドファンディングで資金を集めて紙芝居を作りました。賛同した人のなかには、授業を受けた生徒の親御さんや、今は川崎を離れているけど地域の伝統を守ってほしい、という方、孝次さんの同級生からも連絡があったそうです。今も授業の前に、紙芝居を使って、孝次さんのこと、そして孝次さん流の教え方でのらぼう菜の栽培法を子どもたちに伝えはじめました。
思いを引き継いだ寛子さん、指導を受けたアルバイトスタッフの今井さん、菅野さん。そして孝次さんとのらぼうに魅了された清水さんなどたくさんの人に思いのバトンが繋がれています。そんな方々が、栽培を続け守っているからこそ途絶えずに、ファンを増やし地域を代表する農産物になっています。地域の子どもたちにもその想いが受け継がれていると思うと、これから先ののらぼう菜も本当に楽しみです。
旬の時期以外は、のらぼう菜の粉末を使用したクッキーなどを販売するお菓子屋もあります。川崎に行った際には、チェックしてみてくださいね。寛子さん、今井さん、菅野さん、そして清水さん、本当にありがとうございました!