[タベサキ Vol.1]
もし村上春樹が食べ歩きをしたらぶらり、村上さんぽ

西麻布せせり雲丹のせ

東京都

2018.08.30

タベサキ

文体模写の鬼才、菊池良氏が、村上春樹風の食べ歩き記事を書く連載、第1回。

Illustration:Yutaka Nakane

せせり雲丹のせ／650円

広尾駅を降りて、大通りを進んでいると、道沿いにゴルフショップの群れが並んでいた。連続ですれ違った三人の女性が、どれも犬を引き連れている。まるでここにはゴルファーと飼い主しか住んでいないんだと街が言っているようだ──しかし、そんなはずはない。

一〇分ほど歩いてから、左に曲がると、そのビルはある。わりにこじんまりとした建物で、入っている店の看板が掲げられていることをのぞけば、ただのマンションに見えなくもない。
狭いエレベーターに乗って三階にあがると焼き鳥屋「まほろば」はあった。

ビルの外観から受ける印象とは違って、店のなかはわりに広かった。カウンター席が六席、四人がけのテーブル席が三つある。ほかに個室席もあるようだ。店内の装飾品は和風で統一されていて、カウンターの後ろには日本酒の瓶が並んでいる。
店内のBGMにはウェス・モンゴメリーの「To Wane」がかかっていた。悪くない。
テーブル席に座ると、店の人間が注文を取りに来た。
「せせり雲丹のせを頼みたいんだ」

「せせり雲丹のせ」

かつてある女の子がここの「せせり雲丹のせ」は絶品だと言っていた。その女の子の消息はわからない。水紋が広がっていずれ消えるように、彼女は僕の前からいなくなった。
しばらくして料理が運ばれてきた。せせりの肉にウニがたっぷりと乗っかっていて、さらにひとつまみのワサビが二箇所に置いてある。表面が光を反射していた。まるで貴族が使う寝具のようだ。
せせりとは鶏の首の部分のことだ。希少な部位で、一般的な肉屋ではまず出回らない。そんなせせりに北海道産のウニを惜しみなく乗せたのがこの料理だ。こういったものを生み出す人間というものについて思わず考え込んでしまう。

ウニを落とさないよう慎重に串を持ち上げた。一気に頬張ると、次の瞬間には静寂を店がつつんだ。周りの雑音も消え失せ、真空管のなかに自分とウニだけがいる気分になった。
せせりは弾力があり、適度な歯ごたえがある。そこにやわらかく濃厚なウニがとろけていき、ワサビの辛味が心地よい刺激を舌にあたえていく。
ぼくはしばらくウニと対話していた。静かに、しかし手応えのある対話だった。

いつの間にか、ウェス・モンゴメリーの曲が終わっていた。耳にホリー・コールの「Cry (If You Want To)」が入ってくる。とたんに雑音が聞こえ始め、止まっていた時間が動き出したかのようだった。
ぼくはこの「せせり雲丹のせ」を「ぼくのレーゾン・デートゥル」と呼ぶことにした。人間の存在理由（レーゾン・デートゥル）は、美味しいものを食べることにある。それ以上でもそれ以下でもない。